2005年12月02日

割引率再論または先延ばしの効用

 Takaさん、前の文 にコメントをどうも、せっかくのリクエストなので考えを膨らませてみましょう。


「年率5%という割引率が意味するのは、今日100ドル失うことは、1年後に95ドル失うこと、二年後に90.25ドル失うこと等々と、同等であるとみなすことである。…海面が上昇し、有益な土地が40年後に水没するものと仮定しよう。5%の年次割引率の場合、100ドルの価値がある土地を永久的に水没させる洪水を防ぐことは、14.20ドルを費やす価値しかない。従って、一世紀後、もしくはそれ以上先に生じる損失は、実質上ゼロというところまで縮小する。」(ピーター・シンガー より再掲)


さて、「1年後に世界が滅びるとしたら、あなたは何をして過ごしますか?」
という問いは、これをテーマに映画が作れる(「渚にて」でしたっけ?観たことはないんですが)くらいで面白そうです。

 通常の経済学で割引率をさらに大きく取るということは、たとえば上の1年を40年に変えたようなものだと考えることができるでしょう。
つまり、40年先のための割引率による意思決定というのは、あと40年後(あるいは100年後)に世界が滅びるという状態と変わらない価値判断を行うことを合理的と称していることになります。
 もちろん、シンガーの議論には違いが一つあります。1年先になって再度評価をしなおしたときに、あと39年で世界が滅びるという状態に変わるのか、それとも40年先の未来そのものも1年先に移動して1年前と同じ評価ができるのか、という違いです。 小さな違いも大きくなるもので、39年間経過してから再度評価をしなおすとすれば、あと1年で世界が滅びるのか、39年目にもさらに40年先に未来があるのか、の2つはまるで違います。

(もっとも経済学者というのはこの2つを同じだと認識する職業かもしれません。貪欲(グリード)に自然状態を見出しているため、経済学者は最後の審判の日?の騒乱状態も完全に自然なことだと見なすでしょう。これは古典派/新自由主義経済学に倫理が入っていないことの弊害です。他の経済学がどうかは実情を知りませんが。)
参考:

アダム・スミスの失敗―なぜ経済学にはモラルがないのか(著)ケネス ラックス,Kenneth Lux,田中 秀臣

出版社/メーカー:草思社
価格:¥ 2,625
ISBN/ASIN:4794206984
Rating:ZERO


 …以上のように書いてきましたが、別に温暖化で世界が滅ぶ、と主張したいのではありません。
「ある未来の時期(しきい年)を境として、変えられるオプションが無くなるという事象は、通常の割引率計算では評価しきれない」ということを上の例が示している、と言いたいのです。

 地球温暖化といわれたときに一般の人が思い浮かべる影響の印象は、たとえ速いにしても徐々に変わっていく可逆的な変化なのでしょう。そして対策で方向性を変えてやれば逆方向に動きうると思いこんでいれば、問題を先送りし対策を先延ばしにする傾向にはなんの不思議もありません。

 ただ実際に気候変動で問題とすべきなのは、発生する確率は低いが、悪影響のひどい気候カタストロフィと呼ばれる事象群です。これらはある閾値を超えたときに正のフィードバックが暴走して起こるものです。
その時期がいつなのかは分かりません(およそどの段階についても科学的な不確実性が立ちはだかっています)が、個別の気候カタストロフィにはしきい年があり、対策の多寡に応じてしきい年が前後するというモデルを考えることにしましょう。

 そうすると、「持続可能な最低限の温暖化対策」とは、この気候カタストロフィのしきい年を1年ずつ未来へ先送りするものでしょう。いわば財政破綻問題で言うプライマリーバランスを取ることと同様に考えられます。

 その下にくるのが「持続不可能だけれども最低限にはすべき温暖化対策」であり、このしきい年の到来を1年間で1年よりわずかでも小さくするものだと考えられます。

 などと言っても、現実には1年たつ毎に、しきい年が1年以上近づいているという(つまり正のフィードバックがすでに転がり初めている)絶望的な状態なのかもしれません。
現状がどこにあるのか、分かっていないという不確実性は恐ろしいものです。
(日本の財政はこの2つのどちらでしょう?)

 まあ、しきい年という整理の仕方は実用的ではないと思いますが。

後日記:
ロンボルグが台北タイムズに投稿した記事がありました。
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2005/12/02/2003282647
 この中でもロンボルグは従来の主張を繰り返していますが、そういえばこういうことも書いて、役に立たない、と言っていましたね。
”Yet, even if everyone (including the US) lived up to the protocol's rules, and stuck to it throughout the century, the change would be almost immeasurable, postponing warming for just six years in 2100.”
「米国を含む各国が議定書の目標にしたがって、それを2100年まで続けたとしても、2100年時点の温暖化をわずか6年間先延ばしすることができるだけだ。」(これもIPCC第三次報告書のどこかにある数字を使っての主張のはずです。)
 つまり、上の持続可能性の指標と関連づけるとすれば、京都の削減目標では、1年あたり6/100ほどしきい年を先延ばしする程度の「持続不可能だけれども最低限にはすべき温暖化対策」のジャンルの目標だと考えることができます。
 たとえば、米国がこれすら拒否するというのは犯罪的だ、とはどうしてロンボルグは思わないんでしょうね。

p.s.
 以前、こんな記事でも時間軸のことを考えようとしていました。
「僕ら=現在世代の利害を代表するには」
posted by おぐおぐ at 16:23| 温暖化の科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。