2005年08月08日

なぜ私たちは温暖化を否認するのか(その3)

その2より続く

(未来を予測する種)

 我々は未来を予測し、計画し、適応する例外的な能力のおかげで地を統べるようになった。
天賦の利己主義にも関わらず、我々は独立国家の観念や、子どもたちへの責任や、歴史的な宿命の概念につき動かされて再び行動を激励されている。
 人々は文化的なアイデンティティと宗教的な信念を守るためには意識的に命をも投げ出す。
あるいは脅威を認識すれば、我々は高い保険料を支払うことを抵抗するだろうか。
 毎年、国を守るためには何兆ドルものお金が武器購入に費やされるがその危機は出費を正当化できない。
西暦2000年問題ですら、コンピューターのために3200億ドルもの投資が動員され、人々は食糧を貯蔵し都市から逃げ出した。

 (敵味方の二極化) それならばなぜ、気候の危機に直面して我々は麻痺しているのだろう?

 答えは我々の進化の歴史にある。
我々はある捕食者や他部族のライバルから自分自身を守ってきた。明白でそこにある危機に対して、敏速に動き始めるようネジを巻かれているのだ。
しかし脅威が確かでなくなったり、因果関係が複雑になったりすると、それに取り組む緊急感を見出すことは難しくなる。

 不幸なことに、気候変動は、我々の進化の弱点に沿っているのだ。
複雑であいまいで、世代間に渡る問題であるばかりでなく、非常に自己懲罰的である。
 その現状が、難民であれ別のライバル帝国であれ他の社会グループからの脅威と見なす傾向で打ち消されてしまうのだ。

 明らかに責任の程度の違いというものがあり、例えば英国人はバングラデシュ人の50倍も温室効果ガスを排出している。
 だが一人がSUVに乗ることと別の人の農作物の不作とを直接にリンクすることは不可能である。われわれ皆が原因である問題なのにだれか他の者を非難することは難しい。
 それゆえ、地球温暖化を見慣れた加害者−被害者の二極化で当てはめようとする努力がほとんどどこでも見られるのである。
途上国は北の先進国を非難し、自転車乗りは自動車乗りを非難し、活動家は石油会社を非難し、ほとんど皆がブッシュ米国大統領を非難している。
ブッシュもまた被害者だと認めることは難しいが、彼の子どもや孫は我々と同じく不安定で恐ろしい世界で成長することになる。

 (傍観者効果)
 
 気候変動の複雑な因果関係もまた特に人類の責任を拡散させる傾向に強く役立っている。
これは「受動的な傍観者効果」であり、しばしば暴力犯罪が人ごみの中で行われ誰も止めようとしない場面で見受けられる。
 それは道徳が足りないのではなく、単に誰もが、他の誰かがまず動き始めるのを待っているという現象だ。
より雑踏の人が多ければ多いほど、一人一人の感じる責任感は薄れてくる。

 気候変動の場合には、われわれは同時に傍観者であり、加害者であり、被害者であるのだ。

 この心の葛藤は我々の行動する能力をそこない、また他者の否認が広がれば葛藤が増幅される。
我々は我々自身の直感に頼ることを疑い、変化をもたらしうる能力にも疑いを持つようになる。

 (想像力の欠如)

 より深くみると、我々は単に地球規模で温暖化した未来を想像することができないのだ。
ここでもまた理屈がある。
 歴史を通じて人類は過去を未来の道しるべとしてきた。
社会的な年長者の知恵から法廷に到るまで、我々は先例を探している。
しかし、現在起こっていることの歴史的な類似現象はないのだ。
 これが、われわれの否認の真髄である。
気候変動の証拠を頭の中では受け入れても、心の中では拒否しているのだ。
われわれ自身が、本当にそれが起こっていることを信じることができないのだ。

 (わらの犬)

 ではわれわれにはどんなオプションがあるだろう?

 未来のビジョンの一方は、生態学的な略奪や大量の飢餓そして絶え間のない戦争の悪夢以上のものである。
ジョン・グレイは「わらの犬」の中で「集団としての人類は時おりの道徳的な感情によって支配されているのではなく、また利己主義でもなく、一瞬のニーズによって支配されている。地球上の生命のバランスを破壊する破壊の手先となる運命にあるのだ」としている。
 もしグレイが正しいのならば、人々は気候変動の影響が厳しくなるまで行動を取ることを遅らせるだろう。
そして行動を起こすとしても強く衝動に駆られるのは適応のための措置であろう。
干ばつにはダムで、洪水には堤防で、台風には台風用シェルターで対処することだろう。

 排出量の直接的な抗争や、よりありそうなことは減少しつつある環境的資源に関する戦争のような、競争する「部族」間で共通の闘争に気候変動が変わったときに始めて、総合的な反応の引き金を引くことになるだろう。

 (ティッピング・ポイント)

 しかし人類はアメやムチを予期して行動を変えることができる。
世界の宗教はこの原理に基づいて作られている。
 われわれは行動を変えることへの心理的な障壁を認識し立ち向かったときにだけ、ライフスタイルを大きく変えることができるだろう。
世界観の大きなシフトが中心課題であり、時間切れになりかねない。

 それでも社会的な群居本能がわれわれの救いとなるかもしれない。
ニューヨーカー誌のマルコルム・グラッドウェルは、本「ティッピング・ポイント」の中で、あるアイデアが異端派から主流へと感染するためには、社会的要素を整列することが必要なだけだと言っている。
 いったんある人数の人々が列を破って参加するようになれば、受動的な傍観者効果は効かなくなる。

自動車の使用を避け、地域の店でショッピングをするようになり、再生可能エネルギーだけを利用するようになることが「正常」なことになるだろう。
その成果は遠いように感じられても、われわれすべてが否認と絶望から走り出て、よりよいなにがしかを求めることに掛かっているのだ。

 結局は、このなにがしか、とは富でも権力でもなく道徳的な目的のためですらない。
 それはサバイバルのためなのだ。

(ジョージ・マーシャルは気候変動の草の根ネットワークであるライジング・タイド で働いている。マーク・ライナスの本「高潮−温まりつつある世界からのニュース」は2004年3月1日にフラミンゴ社から発行される。)
(人名辞典へと続く)
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ティッピング・ポイント


後日記:ティッピング・ポイントとは?
 本を読んでみました。
 なんらかの感染現象において、すべてが一気に変化する劇的な瞬間を、ティッピング・ポイントと呼んでいます。
3つの特徴
 第一は感染的だということ
 第二は小さな原因が大きな結果をもたらすこと
 第三は変化が徐々にではなく劇的に生じるということ
 これは、小学校での麻疹の蔓延や冬のインフルエンザの伝染の仕方と同じ原理に基づいており、この3つの特徴のうち、第三の特徴−−すなわち感染の勢いは、ある劇的な瞬間に上昇したり下降したりすることがありうるという考え−−がもっとも重要であるそうな。

なぜ私たちは温暖化を否認するのか(その1)

なぜ私たちは温暖化を否認するのか(その2)

posted by おぐおぐ at 11:42 | TrackBack(1) | 環境哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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